始めに

 我々神主の存在できる、唯一よって来るところの所以は、上御一人すなわち天皇陛下の御存在がおわしますればこそ、成り立つものであります。また、皇室のご存在は、日本の文化、精神のよりどころと言っても過言ではありません。そこで、日本神道のあらましを述べる以前にここに、とても恐れ多いことではありますが、天皇陛下をお始めに、日本のお祭りの本の本に当たるご皇室のご祭祀についてあらましを述べさせていただきます。

平成大嘗宮(だいじょうきゅう)の図

 この宮殿は、大嘗祭(だいじょうさい)という天皇陛下のご即位の儀式のためだけにご造営され、あとは取り壊される。
 しつらえは、桧の立木の皮を剥いだだけのいわゆる黒木造りで、屋根は板葺き、壁面は簾(すだれ)を垂らし、床板に薦(こも)を敷いただけのきわめて簡素な造りである。
 ここで行われる儀式は、天孫ニニギノミコトが祖母天照大神の命を受けて、神々の御座所高天原から、この地上即ち、日本は九州の日向(宮崎県)の高千穂の峰に天下りになられたことを天皇陛下おん自ら追体験なされ、祖先の霊と一体になられると言う儀式だと伺う。
 神話では、ニニギノミコトが真床乎衾(まどこおふすま)という、おくるみか布団のようなものにくるまれてご降臨になられた故事に基づき、陛下も同じように布団をお召しになられるという。
 まさに、祖型の反復である。天皇陛下は、祖先の体験を追体験におなりになることにより、始めて名実ともに天皇の資格を得られるとお伺いする。実に、恐れ多いことではある。この祭儀は秘祭とされ、今なお全貌はベールに包まれている。
 もう一つの儀式「即位の大礼」は、古代中国における皇帝の即位式にならったもので諸外国にご即位を宣言するといった趣旨のものである。

皇室のご祭祀

日本の建国の歴史は皇室によって守られていた―。知られざる皇室の祭祀について

■ 国の始めと皇位の由来

 天皇陛下は二月十一日の日は、思し召しによる宮中三殿への臨時御拝がある。戦後、GHQの圧力で紀元節祭は廃止されてしまい、紀元節祭という名称は使っていないが、先帝(昭和天皇)は戦前の紀元節祭を受け継がれ、二月十一日には臨時御拝のお祭りを欠かさずなされた。そして今の陛下もそれを受け縦がれ、そのまま行っておられる。またその日は橿原神宮に勅使を遣わしておられる。
 
 《戦前の紀元節は元旦、天長節、明治節と並ぶ四大節で、宮中における紀元節祭は大祭であった。》
法律上の規定はなくなっても、陛下は前と同じようになされている。
 
 それを、思し召しと言う。陛下がお祭りをすると仰せられると、宮中祭祀を担う掌典職がご奉仕させて頂くわけである。宮中では年頭一月一日の四方拝、歳旦祭に続いて、一月三日に元始祭(げんしさい)が行われる。この元始祭は大祭、天皇御親祭で年の始めにあたり、皇位の大本と由来とを祝し、国家、国民の繁栄を三殿で祈られるお祭りである。
 ということは宮中では年頭にすでに我が国の国の始めを祝うお祭りを齋行されていることになる。
 つまり皇位のよってきたる大本と由来とを祝し、また実際に第一代の天皇が即位された日と、その両方を大切にされてきているのである。

 そもそも、皇位の大本とは何であろうか?
それは天照大御神が授けられた天壌無窮の神勅である。「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国はこれわが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。さきくませ。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむことまさに天壌(あめつち)と窮(きはま)り無かるべし」という神勅のまにまに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨されてあと、やがて神武天皇が大和の橿原で御位に就かれるということになる。
 つまり、皇位は神勅に由来するということである。そして皇位の御しるしが三種の神器なのである。
 まさに神話に起源を持ち、神武天皇から天照大御神の御神勅にまで逆上ってお祝いするのが元始祭なのである。。

■ 皇祖皇宗へのご崇敬
 
 私共にとって伊勢の神宮というと天照大御神、神様であるが、陛下にはご祖先なのである。第一のご祖先のお宮という念が非常にお強いことを、即位の礼、大嘗祭の後或いは式年遷宮の後、伊勢の神宮に御親謁になった陛下のお姿に拝見することができる。
 また、外国ご訪問のとき、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下の場合はご出発とご帰国のとき、必ず宮中三殿でお祭りがあり、伊勢の神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵に御直拝あるいは御代拝なされる。他の皇族方の場合は賢所に御拝されてから行かれ、またご帰国のあとすぐに御拝なされる。そのことは極めて厳重である。
その厳重さはお祭りにおける御所作やご研究の態度にも現れている。
 
思うに、陛下は日本のどの神主よりも御所作が厳格で、そのお祭りの意義或いは沿革について詳しく研究された上でお臨みであると伺うことができる。ご即位後、伊勢の神宮に行かれたときにも、掌典に御所作について念を押され、ご下問になる。その厳格さには感嘆せざるを禁じえない。きっと天照大御神様もおよろこびのことと思われる。
 
 皇室の祭祀には明治から始まったお祭りもある。そういったお祭り ―例えば先程の元始祭もそうだが― のときは特に陛下は明治天皇はどのようにあそばしたのだろうか、記録にないかということをよくお聞きになられると言う。それはお祭りの起源を尊ばれると同時に先帝が明治天皇ご崇敬の念極めてお厚かったことを今の陛下がそのまま受け継ごうとされるお姿でもあると拝するのである。
 陛下は毎年、新嘗祭の御習礼(ごしゅらい)(※お稽古のこと)を必ず二、三度なされるが、大嘗祭のときには御習礼を六度もなされた。陛下は御習礼といえども、少しも揺るがせにされない。一度は完成前の大嘗宮の中で御習礼あそばされたが、そのときは、昭和天皇のご学友で、侍従もされた永積元掌典長を側におかれて「先帝と少しでも違っているところがあったら言うように」と仰せられて御習礼に臨まれたそうである。また陛下が全皇族方に「大嘗宮を見ておくように」ということで、全皇族を完成前にご見学にお連れになられた。そして陛下はここのところに皇太子を入れていいか、と確認されて、皇太子殿下をおそばにお呼びになり、「ここのところをよく見ておくように」と仰せられる。このお話を耳にして、ご長男教育を実によくあそばされると感じ入った。

■ 祭祀への厳重なご姿勢

 平成七年の一月一日、午前五時五十三分、関東方面で震度三の地震があったが、そのときは、歳旦祭で陛下が賢所でご拝礼されている最中であった。陛下はじっと平伏されていて決してお揺るぎにならなかった、勿論地震をお感じになったはずである。それくらい陛下のお祭りに臨まれるご態度は厳粛なものなのである。これが歴代天皇のご精神でいらっしゃる。国民全体が緩んだ中でも、陛下は決してお祭りを揺るがせにされることはないということを全国民は肝に命ずべきではなかろうか。
 
 宮中三殿の祭り主、つまり一般神社での宮司にあたるのはどなたかというと、それは陛下でいらっしゃる。陛下には、大祭小祭などのほかに旬(しゅん)祭の毎月一日には御直拝で御三殿に必ず御拝あそばしておられる。
  《宮中三殿 ― 中央に天照大御神をお祀りされている賢所(かしこどころ)、向かって左手に神武天皇から昭和天皇までの天皇方、皇后、皇妃、皇族方の御霊をお祀り申し上げる皇霊殿、右手に天神地祇八百万神をお祀りされている神殿が鎮座まします》

 天皇陛下は毎月、海外ご巡幸や大雪などのよほどのことが無い限りすべて、ご自身自ら宮中三殿にいらっしゃってお祭りに臨まれる。宮中三殿には冷暖房の設備はない。また時間は早朝で、例えば歳旦祭は午前五時半だから午前四時半頃には綾綺(りょうき)殿においでである。故皇太后様が先帝が歳旦祭に出られるときお詠みになられた御歌で「星かげのかがやく空の朝まだき君はいでます歳旦祭に」(昭和五十年「祭り」)とある。

 このように、皇后陛下もお見送りされるわけである。私たちが全然知らないところでのお祭りの営みでなのである。
 それは、私たちも考えなければいけないことであるが、今は宮中祭祀を陛下の私的行事ということにしてしまっているから、取材は一切させない。またいいかげんなことを書かれても困るからであろう。ただ、そのときどきの法令がどうであろうと、幕府の時代であろうと何であろうと陛下ご自身は天照大御神の御神勅以来のお祭りをきちんとあそばしていらっしゃるということである。そのことは先帝が今の陛下に、今の陛下が皇太子殿下にという如く、代々受け継がれて来たご伝統なのである。

■ 厳重な戒め

 他の皇族の方々の祭祀へのご姿勢はと言うと、
各殿下妃殿下方ご熱心でいらっしゃると伺われる。皇后陛下も敬神の念、極めてお厚くいらっしゃるし、皇太子殿下もお祭りにご熱心で、ご研究も重ねておられる。ご専門の中世交通史に関連して、神社文書等も実に丹念にお調べでいらっしゃるとお聞きする。御多端の御公務のなかで敬服のほかはない。

 皇族のお方は皆、ご自身で皇族としてわきまえておかなければならないのは宮中祭祀だということを自覚しておみえになられる。外国の上流の人たちは皆宗教を持っていて自分を律している、それをよく見てこられているのだと思われる。御拝のときも一を聞いて十を知ると言うか、きちんとなされて、さすがにご聡明なお方ばかりである。秋篠宮殿下以下、お祭りにご熱心である。そして、天皇陛下は全皇族方に対してきちんと範を垂れておられる。例えば伊勢神宮の神嘗祭のときなど、全皇族方お慎みである。先帝もそうであったが、陛下もご公務だからといってその日に皇族が外出されることは許されない。その戒めは厳重である。

 最後に、英霊への思し召しについてであるが、
 硫黄島を詠まれた御製、それから八月に遺族会に下賜された御製に英霊への深い思し召しを拝することができる。また、先帝が大東亜戦争の戦没者に対していかにお心を注がれたかということをよく知っておられ、それを御継承なされていらっしゃる。

日本神道への誘い