六月月次〔十二月は此に准へ〕
六月十一日・十二月十一日
集はり侍る神主・祝部等諸聞き食へよと宣ふ
高天原に神留り坐す皇睦神漏伎命・神漏彌命を以て天社國社と稱辭竟へ奉る皇神等の前に白さく 今年の六月の月次の幣帛を〔十二月には今年の十二月の月次の幣帛と云ふ〕明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉りて 朝日の豐榮登に 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
大御巫の辭竟へ奉る皇神等の前に白さく 神魂・高御魂・生魂・足魂・玉留魂・大宮売・御膳都神・辭代主と御名は白して 辭竟へ奉らくは 皇御孫命の御世を 手長の御世と 堅磐に常磐に齋ひ奉り 茂御世に幸へ奉るが故に 皇吾睦神漏伎命・神漏彌命と 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
座摩の御巫の辭竟へ奉る皇神等の前に白さく 生井・榮井・津長井・阿須波・婆比伎と御名は白して 辭竟へ奉らくは 皇神の敷き坐す下都磐根に宮柱太知り立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御舎仕へ奉りて 天御蔭・日御蔭と隠り坐して 四方の國を安國と平けく知食すが故に 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
御門の御巫の辭竟へ奉る皇神等の前に白さく 櫛磐間門命・豐磐間門命と御名は白して 辭竟へ奉らくは 四方の御門に 湯都磐村の如く塞り坐して 朝には御門を開き奉り 夕には御門を閉て奉りて 疎布留物の下より往かば下を守り 上より往かば上を守り 夜の守・日の守に守り奉るが故に 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
生嶋の御巫の辭竟へ奉る皇神等の前に白さく 生國・足國と御名は白して 辭竟へ奉らくは 皇神の敷き坐す嶋の八十嶋は 谷蟆の狭度る極 鹽沫の留る限 狭き國は廣く 嶮しき國は平けく 嶋の八十嶋堕つる事尤く 皇神等の寄さし奉るが故に 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
辭別きて 伊勢に坐す天照大御神の大前に白さく 皇神の見霽かし坐す四方の國は 天の壁立つ極 國の退き立つ限 青雲の靄く極 白雲の向伏す限 青海原は棹柁干さず 舟の艫の至り留る極 大海原に舟満ち都都氣て 陸より往く道は荷の緒結ひ堅めて 磐根木根履み佐久彌て 馬の爪の至り留る限 長道間尤く立ち都都氣て 狭き國は廣く 峻しき國は平けく 遠き國は八十綱打挂けて引き寄する事の如く 皇大御神の寄さし奉らば 荷前は皇大御神の前に 横山の如く打積み置きて 残をば平けく聞看さむ 又皇御孫命の御世を手長の御世と 堅磐に常磐に齋ひ奉り 茂御世に幸へ奉るが故に 皇吾睦神漏伎命・神漏彌命と 鵜自物頚根衝き抜きて 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
御県に坐す皇神等の前に白さく 高市・葛木・十市・志貴・山邊・曾布と御名は白して 此の六御県に生り出づる甘菜・辛菜を持ち参り来て 皇御孫命の長御膳の遠御膳と聞食すが故に 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
山の口に坐す皇神等の前に白さく 飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳尤と御名は白して 遠山近山に生ひ立てる大木小木を 本末打切りて 持ち参り来て 皇御孫命の瑞の御舎仕へ奉りて 天御蔭・日御蔭と隠り坐して 四方の國を安國と平けく知食すが故に皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと宣ふ
水分に坐す皇神等の前に白さく 吉野・宇陀・都祁・葛木と御名は白して 辭竟へ奉らくは 皇神等の依さし奉らむ奥都御年を 八束穂の伊加志穂に依さし奉らば 皇神等に初穂をば穎にも汁にも 甕の閉高知り 甕の腹満て雙べて 稱辭竟へ奉りて 遺をば皇御孫命の朝御食・夕御食の加牟加比に 長御食の遠御食と 赤丹の穂に聞食すが故に 皇御孫命の宇豆の幣帛を 稱辭竟へ奉らくと 諸聞き食へよと宣ふ
辭別きて 忌部の弱肩に太襁取挂けて 持由麻波利仕へ奉れる幣帛を 神主・祝部等受け賜りて 事過たず捧げ持ちて奉れと宣ふ
延喜式祝詞弐(一括表示)
大殿祭
久度古關
祝詞集